伊坂城跡

いさかじょうあと (Isaka Castle Ruins)

【C-ME083】探訪日:2021/10/4

【C-ME083】伊坂城跡 三重県四日市市伊坂町

【MAP】

〔駐車場所〕伊坂ダムサイクルパーク駐車場を利用できる。

【C-ME083】伊坂城跡

   築城年は定かではないが、城主に春日部太郎左衛門尉もしくは伊坂太郎左衛門尉の名がある。伊坂氏は萱生城を拠点とする萱生氏と同族で
ある。朝明川流域にあった伊勢神宮内宮荘園の荘官を中心に結成された「北方一揆」の拠点の一つでもあった。『北方一揆連署状』には伊坂太郎左衛門之実,伊坂左衛門二郎満実の名がみえる。
 1568(永禄11)年、織田信長の北勢侵攻によって攻め落とされたが、『信長公記』には伊坂氏一族が織田信雄家臣として活動している記述があり、発掘調査でも天正年間(1573~91年)まで城が機能していたことが判明しており、伊坂氏と伊坂城は織田氏のもとで存続していたと考えられる。
 城は伊坂ダム東の南東へ伸びた丘陵に築かれていたが、新名神高速道路建設にともない城跡の東側部分は損壊している。その規模は全長約700m,平均幅約150mで、城郭部と屋敷部が一つの丘の上に形成された伊勢の城館の特徴をもつ中世城館であった。発掘調査では、南東の尾根先に屋敷部、北西の小高い部分に主郭があった。主郭は土塁が巡る方形の曲輪で、南に虎口があり、ここに櫓門が検出されている。城の東麓から主郭までの尾根を縦貫する約550mにおよぶ城道とその両側に展開する屋敷地群、谷を利用した堀状遺構なども検出された。また、消滅しない西側には腰曲輪や素堀の井戸などが残されている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1568年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
伊坂太郎左衛門尉 **** 伊坂之実 **** 伊坂満実 ****
織田信長 OD04 織田信雄 OD05

 

【C-ME083】伊坂城跡
 

 

【C-ME083】伊坂城跡

 

【C-ME083】伊坂城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-ME083】伊坂城跡

▲伊坂ダムサイクルパーク駐車場の北の道を進む

【C-ME083】伊坂城跡

▲高速横の階段を進む

【C-ME083】伊坂城跡

▲城跡入口から見た新名神高速道路

【C-ME083】伊坂城跡

▲城跡入口

【C-ME083】伊坂城跡

▲主郭(曲輪1)西の土塁

【C-ME083】伊坂城跡

▲主郭(曲輪1)

【C-ME083】伊坂城跡

【C-ME083】伊坂城跡

【C-ME083】伊坂城跡

【C-ME083】伊坂城跡

【C-ME083】伊坂城跡

▲切岸

【C-ME083】伊坂城跡

【C-ME083】伊坂城跡

▲左が曲輪3

【C-ME083】伊坂城跡

▲曲輪3

【C-ME083】伊坂城跡

▲曲輪3へ上る

【C-ME083】伊坂城跡

▲曲輪3

【C-ME083】伊坂城跡

▲曲輪3

【C-ME083】伊坂城跡

▲曲輪3

【C-ME083】伊坂城跡

▲曲輪3

【C-ME083】伊坂城跡

▲曲輪3

【C-ME083】伊坂城跡

▲曲輪3

【C-ME083】伊坂城跡

▲南東下は堀

【C-ME083】伊坂城跡

▲曲輪3から南に下りる

【C-ME083】伊坂城跡

▲土橋

【C-ME083】伊坂城跡

▲土橋のところの横堀

【C-ME083】伊坂城跡

▲横堀

【C-ME083】伊坂城跡

▲西へ進む(右は主郭の切岸)

【C-ME083】伊坂城跡

【C-ME083】伊坂城跡

▲竪堀

【C-ME083】伊坂城跡

【C-ME083】伊坂城跡

【C-ME083】伊坂城跡

▲堀切

【C-ME083】伊坂城跡

▲主郭下東の腰曲輪

【C-ME083】伊坂城跡

▲腰曲輪

【C-ME083】伊坂城跡

▲腰曲輪

【C-ME083】伊坂城跡

▲腰曲輪

【C-ME083】伊坂城跡

▲素掘りの井戸

【C-ME083】伊坂城跡

【C-ME083】伊坂城跡

▲切岸

【C-ME083】伊坂城跡

▲切岸