南山城跡
みなみやまじょうあと (Minamiyama Castle Ruins)
【C-AC454】探訪日:2021/9/23・2021/9/29
愛知県瀬戸市掛下町1丁目(御鍬神社)
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、1221(承久3)年の承久の乱で戦死した山田重忠の子の山田伊豆守重継の居城とされる。父と共に後鳥羽上皇方に加わるが、重忠は京都の嵯峨野で自害、重継は右の股を射られて捕らえられ後に斬られた。
城構えは山の上で四方に堀があり屋敷構えは43m余とされるが、名古屋城築城の際に資材は運び去られてしまい、明確な城跡の位置も不明であり、近隣に3箇所の推定地が存在する。御鍬神社、その南東の富士浅間神社の参道入り口付近もしくは浅間神社、そして、さらに東方のしろがね山(宮地町)である。ただ、宮地町については瀬戸埋蔵物文化センターによれば、近年の採掘では城が置かれた形跡はないとしている。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 鎌倉時代 |
---|---|
関連年号 | 1221年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
山田重継 | G604 |
ほぼ800年前の史跡であり、かつ遺構は残されていないため想像でしかないが、個人的には御鍬神社が有力候補かと思う。山頂であることとその周囲の切り立った崖は城館として適している。また、丘陵周辺には川も流れている。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲道路沿いの「御鍬神社」案内
▲御鍬神社入口
▲参道
▲御鍬神社
▲御鍬神社
▲御鍬神社
▲御鍬神社
▲御鍬神社
▲富士浅間神社入口付近
▲
▲富士浅間神社の参道
▲参道からの眺望
▲浅間神社入口
▲
▲
▲
▲
▲
▲山頂の平坦地
▲
▲城跡とされた丘陵
▲
▲
▲