胆沢城跡
いさわじょうあと (Isawa Castle Ruins)
【C-IW001】 探訪日:2013/10/4
岩手県奥州市水沢区佐倉河渋田
【MAP】
〔駐車場所〕
802(延暦21)年、坂上田村麻呂により造営され、808(大同3)年までには多賀城から鎮守府が移された古代城柵である。発掘調査によって、古代陸奥国の北半部を統治する機関であり施設であることが判明している。
北上川と胆沢川の合流地右岸の水沢段丘上、標高50m程度の平坦地で、城の規模は一辺約670mの方形で、外郭南面中央に楼門(重層構造)の「南門」があったとみられ、ここから幅12mの南大路が南方にのびている。外郭北面中央には「北門」が配されているが、規模は南門より小さい。外郭東西門もあったと思われるが、詳細は不明である。中央やや南よりの一角に政庁跡があり、内部正面には正殿跡がある。政庁を区画する内郭線にも東西南北に門があり、正殿前は広場になっていたと思われる。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(1922年10月12日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 平安時代:前期 |
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関連年号 | 802年・808年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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坂上田村麻呂 | SU02 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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