幡豆寺部城跡
はずてらべじょうあと (Hazu Terabe Castle Ruins)
【C-AC062】探訪日:2014/6/14・2021/11/17
愛知県西尾市寺部町堂前
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代,築城者は定かではないが、1514(永正11)年に小笠原定政が早川三郎を敗って城主となり、以後、幡豆小笠原氏5代の居城となった。幡豆小笠原氏は徳川家康の船手衆として知られているが、1560(永禄3)年の桶狭間の戦いの後、三河平定を進める松平元康に対し、城主・小笠原広重と欠城主・小笠原安元が戦いを挑んだという言い伝えがある(走り付けの戦い)。なお、小笠原氏は本多忠勝の説得でほどなく家康側に与したという。
1590(天正18)年の家康関東移封とともに、小笠原氏も上総国に領地を賜り関東に移った。その後、寺部城は自然に廃城になったものと思われる。
城は海岸線から250mほどにある標高29.7mの舌状丘陵を利用した連郭式平山城で、東側と西側に外堀があった。西側は小野ヶ谷川を自然の堀としていた。現在は、本丸,二の丸,土塁,堀などが遺構として残されている。
【史跡規模】 |
【指 定】西尾市指定史跡 |
関連時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
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関連年号 | 1514年・1560年 | 1590年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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小笠原定政 | G*** | 早川三郎 | **** | 松平元康 | TG01 |
小笠原広重 | G*** | 小笠原安元 | G462 | 本多忠勝 | F504 |
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▲登城口
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▲空堀跡
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▲空堀跡
▲本丸跡へ
▲本丸跡
▲本丸跡
▲本丸跡
▲本丸跡
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▲土塁跡
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▲土塁上
▲土塁から見た本丸跡
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▲本丸からの眺望
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▲二の丸跡へ
▲二の丸跡
▲二の丸跡
▲二の丸跡
▲本丸から見た二ノ丸
▲二の丸から本丸へ
▲二の丸南下の曲輪
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