形原城跡
かたひらじょうあと (Katahira Castle Ruins)
【C-AC009】探訪日:2014/5/1
愛知県蒲郡市形原町東古城38-2
【MAP】
〔駐車場所〕
伝説的には平安時代後期に標高26m,比高26mの三河湾に突き出た丘陵端に方原下司次郎師光が築城したとされるが、根拠はない。
現在に残る城の遺構は、長享年間(1487~89年)に松平宗家3代信光の4男である松平与副が築城したと伝えられる。与副は形原松平家の祖となる。
2代・貞副,3代・親忠の時代は東から勢力を伸ばした今川氏に服属した。4代・家広のとき、今川義元が桶狭間の戦いで敗死し岡崎で松平元康が今川氏から独立すると、西三河のみならず東三河の多くの豪族が今川氏から松平宗家に寝返った。家広もまた松平宗家へと鞍替えを行うが、これに怒った今川氏真は人質であった妻子をみせしめに形原城から見下ろせる稲生の浜で串刺しにして処刑したという。
家忠そして6代・家信は徳川家のもとで多くの合戦に参戦、武功を挙げ、1590(天正18)年の家康関東移封にしたがって形原を離れることになった。
関ヶ原の戦いでも戦功を挙げ、1618(元和4)年に1万石で形原藩を立藩し陣屋を構えたが、翌年摂津国高槻藩2万石へ移り、廃藩,廃城となった。
三河湾沿いの現在の形原港近く、海に突き出た小高い海岸段丘上に立地する平山城であるが、ごく近年に至るまで段丘のすぐ足元まで海水が迫っていたといい、往時は三方を海に囲まれた天然の要害であった。一の曲輪,二の曲輪の痕跡が残っている。