竹谷城跡
たけのやじょうあと (Takenoya Castle Ruins)
【C-AC010】探訪日:2014/5/1
愛知県蒲郡市竹谷町泉17-3
【MAP】
〔駐車場所〕
室町時代に松平宗家3代信光の長男・松平守家が竹谷に移住し、竹谷松平氏の祖となった。1503(文亀3)年の守家没の後、2代守親,3代親善と続き、1548(天文17)年、4代清善のときに竹谷城を築いた。清善は松平元康に仕え、1562(永禄5)年の上ノ郷城攻めに参戦している。5代清宗は、1564(永禄7)年の三河吉田城攻め,1568(永禄11)年の掛川城攻め,1575(天正3)年の長篠設楽原の戦い、そして1580(天正8)年の高天神城攻めにも参戦し、1582(天正10)年に駿河国興国寺城へ移った。6代家清は、1590(天正18)年の小田原城攻めに参戦し、同年の家康関東移封に伴い、武蔵国児玉郡八幡山へと移った。1600(慶長5)年の関ヶ原合戦後には三河国吉田城へと移り三万石を領する大名となったが、1612(慶長17)年、家清の嫡男・忠清が亡くなり、所領没収で廃城となった。
竹谷城は尺地神社の北西にある比高約10mの丘陵に築かれており、主郭は南北に長い長方形を呈している。周囲は宅地,畑地に変わり、主郭に城址碑が建つ。