上末城跡
かみずえじょうあと (Kamizue Castle Ruins)
【C-AC117】探訪日:2016/4/2・2022/2/9
愛知県小牧市上末405
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、文明年間(1469~87年)に落合勝正によって築かれたとされる。勝正は足利将軍家の末裔で大県神社の祠官である重松秀村の3男という。勝正の子・落合将監安親は織田氏に仕えたが、1584(天正12)年の小牧長久手の戦いでは羽柴秀吉方となり、池田恒興らの軍勢が徳川家康の本拠である三河国岡崎を急襲しようとした三河中入の際に道案内役を務めた。長久手の戦い後、廃城となった。
城跡の全容は明らかではないが、台地の西端に位置する陶昌院一帯に築かれ、陶昌院の北側に空堀があり、その北側には北西端に土塁が付いた曲輪があったとされるが、現在は宅地になり遺構の確認は難しい。陶昌院の境内に落合安親の墓が残っている。
なお、落合氏は安親の長男・頼親の頃には帰農し、孫の宗親は「入鹿六人衆」として1628(寛永5)年からの入鹿池築造工事に関わった功により、尾張藩から新田頭に任命され、さらに、1640(寛永17)年には小牧原上原新田10石を賜ると同時に苗字帯刀を許されている。