一色城跡
いっしきじょうあと (Isshiki Castle Ruins)
【C-AC410】探訪日:2021/6/1
愛知県名古屋市名東区一社3丁目11
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、尾張守護の斯波氏の命により柴田勝家の祖父である柴田源六勝重が築いたとされる。西方勢力の今川氏への備えとされるが、勝重は1501(文亀1)年に城内に神蔵寺を創建し、武士でありながら戦国の世を嘆き仏門に帰依して余生を過ごしたとされる(1503年死去)。そして、1515(永正12)年、斯波義達は今川軍に大敗して捕虜となり、今川氏親の情けで剃髪のうえ尾張に帰されたが、これにより斯波氏は尾張国内での支配力を失い織田弾正忠家の台頭につながっていく。
その後、1584(天正12)年の小牧長久手の戦いでは戦火に遭っている(神蔵寺は江戸時代に再建)。
城跡は神蔵寺と隣接する西一社貴船社の高台から南にかけた範囲と考えられ、東の植田川を堀代わりとし、北側は湿地帯であったとされる。
神蔵寺には城主であった柴田勝重の墓がある(嘗て寺の下にあったが道路整備の際に移した)。また、孫とされる柴田勝家は近くの下社城で生まれている。