龍海院
りゅうかいいん (Ryukai-in Temple)
【T-AC074】探訪日:2021/4/26
愛知県岡崎市明大寺町西郷中34-1 <📲:0564-51-5410>
【MAP】
〔駐車場所〕
1530(享禄3)年6月、模外惟俊を開山として松平清康が創建した。別名「是之字寺」と呼ばれている。松平清康が20歳のときに「是の字」を左手に握る夢を見て、これを模外惟俊和尚に占わせてみると、「是の字を握るは天下を取ることなり(是の字を分解すると日・下・人)」と答えたので、喜んだ清康が和尚のために龍海院を建立したと伝わる。以後、家臣の酒井正親家の菩提寺となった。
1590(天正18)年、徳川家康が関東に移封されると、留守居を任されていた正親の子・酒井重忠は武蔵川越に1万石の所領を与えられた。新たに岡崎城主となった田中吉政は龍海院を破却したが、1601(慶長6)年に城主となった本多康重によって再建された。
1945(昭和20)年の岡崎空襲により焼失したが、1971(昭和46)年には鉄筋コンクリート構造で全天光照明の三角屋根の本堂が完成した。
本堂の南側丘陵の中腹に酒井正親墓所,真喜の方の墓所がある。
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▲本堂
▲酒井正親墓所
▲真喜の方墓所