西郷稠頼,高力清長墓所
さいごうつぎより,こうりききよなが ぼしょ(Graves of Tsugiyori Saigo and Kiyonaga Koriki)
【K-AC024】探訪日:2014/9/13・2021/4/11
愛知県額田郡幸田町大草寺西6
【MAP】
〔駐車場所〕
西郷氏の菩提寺である正楽寺にある。大草城主であった西郷稠頼は正楽寺を建立し、松平信光の侵攻に備えて竜頭山にのちの岡崎城となる砦を築いた。14世紀後半に亡くなっている。 高力清長は北西に800mほどのところにある高力城で生まれ、三河三奉行の一人として活躍した。1563(永禄6)年の三河一向一揆の鎮圧戦では、一揆鎮圧後に仏像や経典の保護に努めて散逸を防ぎ、寺社を元通りに戻したため領民からは「仏高力」の異名をつけられた。その後の戦でも活躍したが関ヶ原の戦い後は隠居し、1608(慶長13)年に武蔵国岩槻にて亡くなっている(1604年没説もある)。埼玉県さいたま市の浄安寺にも墓がある。
【史跡規模】
【指 定】【国 宝】 【国重文】
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▲正楽寺本堂
▲左:高力清長,右:西郷稠頼の墓