上地城跡
うえじじょうあと (Ueji Castle Ruins)
【C-AC282】探訪日:2020/3/12
愛知県岡崎市福岡南藤六
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、平安時代後期には郷士であった大見藤六の居城(邸宅)であったとされる。1184(元暦元)年、平家討伐のため京を目指す源範頼は、この城館で休息を取り、邸内の祠に祀られていた八幡大菩薩に先勝祈願をした後に西進した。壇ノ浦で平家が滅亡した後、三河守護に任ぜられた範頼は、1190(建久元)年に城内にあった祠を基にして、上地八幡宮を寄進建立したと伝わる。
その後、大見氏は代々藤六を名乗り上地を領した。しかし、1563(永禄6)年の三河一向一揆のとき、松平方として軍議に参加していたが、その翌日に一揆方に寝返って作戦の詳細を一揆方に伝えたとして、緒川城から援軍として来た水野正重に討ち取られた。城は一向一揆収束後に廃城になったと言われている。
願成寺の北の1.5mほど高くなったところ(現在、日蓮聖人石像が立つところ)が邸宅跡と推定される。隣接する上地八幡宮との境に土塁や空堀らしき遺構を確認されたというが発掘調査は行われていない。