坂田寺跡
さかたでらあと (Sakata-dera Temple Ruins)
【T-NR009】探訪日:1992/10/31・2017/9/3
奈良県高市郡明日香村坂田
【MAP】
〔駐車場所〕
坂田寺は『扶桑略記』によると、522(継体16)年に渡来した司馬達止が造った坂田原の草堂に由来する。鞍作多須奈またはその子・鞍作鳥(止利仏師)が造営したといわれている。概ね、鞍作氏の氏寺として建立された飛鳥寺と並ぶ最古級の寺院と考えられている。
686年には、天武天皇のための無遮大会を坂田寺で行ったことが記されており、五大寺(大官大寺・飛鳥寺・川原寺・豊浦寺・坂田寺)の一つに数えられている。
さらに、奈良時代には坂田寺の信勝尼が737(天平9)年に経典を内裏に進上したことや749(天平勝寳元)年には東大寺大仏殿の東脇侍を献納したことも知られている。
平安時代以降の坂田寺については明らかではないが、伽藍は10世紀後半に土砂崩れに遭い、崩壊した。その後の坂田寺については1172(承安2)年に多武峯の末寺になっていることが知られている。