今川了俊供養塔〔今川城跡〕
いまがわりょうしゅん くようとう〔いまがわじょうあと〕(Memorial Tower of Ryoshun Imagawa [Imagawa Castle Ruins])
【K-AC018】探訪日:2014/6/14
愛知県西尾市今川町土井堀17
【MAP】
〔駐車場所〕
今川城跡にある1420(応永27)年8月に亡くなったとされる(異説あり)今川了俊こと貞世の供養塔である。後世の1749(寛延2)年に建立されたもので、墓所は静岡県袋井市の海蔵寺にある。
南北朝時代の1371(建徳2/応安4)年に九州探題として九州に下り、菊池氏,島津氏の討伐にあたり,在位25年間で九州一円を幕府勢力下におくことに成功した。しかし彼の功を妬んだ大内義弘らの工作によって失脚。1395(応永2)年に遠江と駿河の半国守護を命じられた。その後、同族内の争いはあったが、1402(応永9)年には政界を引退し文筆に専念した。和歌を冷泉為秀に、連歌を二条良基に学び、また晩年執筆した『難太平記』や弟仲秋に与えた訓戒『今川状』が有名である。