中島城跡
なかしまじょうあと (Nakashima Castle Ruins)
【C-AC094】探訪日:2015/9/12
愛知県一宮市萩原町中島北方郷2628
【MAP】
〔駐車場所〕
1221(承久3)年、嵯峨源氏の流れをくむ中島左衛門尉宣長が当地に土着し築城したとされる。子孫は代々中島蔵人を称したという。一時は中島郡一帯に勢力を持っていたが、戦国中期以降、中島式部少輔氏重(のちの中島氏種)は斯波氏や織田氏などの新興勢力に圧され衰退し、豊臣秀吉家臣となり大坂城に移り大坂七手組頭に任じられた。その後、秀吉の勢力拡大に従って各地を転戦し、秀吉の死後も豊臣家に仕えた。1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いにおいては西軍として戦うが敗れ、1614(慶長19)年の大坂夏の陣において遊軍として兵2,000を率い奮戦するも落城を待たず自刃した。
城は中島小学校から川を挟んで南側にあったとされるが、現在は城址碑が建つのみである。