常盤御前墓所
ときわごぜん ぼしょ(Grave of Tokiwa-gozen)
【K-GF001】探訪日:1992/4/25
岐阜県不破郡関ケ原町山中534
【MAP】
〔駐車場所〕
治承寿永の乱(1180~85年)が勃発し、源義経は一連の戦いで活躍したが異母兄の頼朝と対立し追われる身となる。1186(文治2)年、常盤は侍女の千種と共に義経を追いかけ関東へ向かう途中にこの辺りで土賊に襲われ、命を落としたのだという。亡骸は村人たちによって埋葬され、後に墓標と地蔵が建てられた。
常盤は近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女であったとされ、源義朝の側室となり今若(後の阿野全成),乙若(後の義円),そして牛若(後の源義経)を産み、1160(平治元)年の平治の乱で義朝が没すると、一条長成との間に能成(1163年生まれ)や女子を産んだ。やがて、平清盛に請われて妾となり一女(廊御方)を産んだとされるが、これは史実としては確認されていない。
義経が追われる身になると、常盤は京都の一条河崎観音堂の辺りで義経の妹と共に鎌倉方に捕らわれたが、その後釈放され義経を追ったものとされる。
常盤の墓とされるものは、ここのほかにも群馬県前橋市,鹿児島県鹿児島市,埼玉県飯能市と各所に存在する。