白拍子谷
しらべしだに(Shirabeshi-dani)
【B-GF001c03】探訪日:2020/1/13
岐阜県大垣市上石津町上多良
【MAP】
〔駐車場所〕
1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いに敗れ退却途中、烏頭坂(上石津町牧田)で深手を負った島津豊久は、難所の勝地峠(同町一之瀬)を越えて樫原村(同町上多良)に入り、この地の庄屋の三輪内助入道一斎に匿われたが、傷は深く、退却の足手まといになるのを恥じて白拍子谷で自刃したと伝えられる。亡骸は薬師寺(後の瑠璃光寺)で荼毘に付された。寺の東側の藪の中に五輪塔が建てられている(島津豊久墓所)。