大平城跡
おおだいらじょうあと(Odaira Castle Ruins)
【C-GF057】探訪日:2020/12/5
岐阜県恵那市串原4529
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、遠山雅楽頭によって築かれ、『巖邑府誌』には子の遠山与五郎の名も見える。1572(元亀3)年もしくは1574(天正2)年に武田氏勢に攻められて自落したという。武田の軍勢に恐れおののき、家来たちが皆去る中、与五郎も馬を隠し自らも洞窟に身を隠したが、飼い犬が洞窟の前で吠えたため武田の兵に見つかり、討って出て最後をとげたと言われている。
城は標高530m,比高80mほどの城山に築かれており、最高所の東端の主郭に「三保大和守重昌霊」と刻まれた石碑があるが、城とは無関係のようである(大正時代の山の持ち主の碑とか)。主郭の北西下に長く伸びた千畳敷と呼ばれる曲輪があり、そこから西に続く尾根を堀切で遮断している。北下にも堀切を挟んで曲輪があり、雪隠屋敷と呼ばれている。