大将陣跡
たいしょうじんあと (Taisho Camp Ruins)
【B-GF002】探訪日:2018/8/19
岐阜県恵那市岩村町
【MAP】
〔駐車場所〕
1575(天正3)年、長篠設楽原の戦いで武田勝頼軍に大勝した織田信長は、すぐ嫡男の信忠に3万の大軍を与え、秋山信友らの岩村城攻撃を命じた。織田信忠が岩村城を包囲した時に本陣を構えた場所である。岩村城の北西約1.2kmに位置する。
籠城戦は5ヶ月余り続いたが、信友は城兵の助命を条件に降伏した。しかし、信長は、秋山信友と信長の叔母で遠山景任未亡人であったが信友と結婚し岩村城を武田側へ渡したおつやの方、座光寺氏,大島氏らの武将計5人をこの丘で逆さ磔にして殺した。5人の首を葬った塚が大将塚である。なお、助命を約束された城兵3000人(婦女子を含む)も信州を目指す途中に織田の伏兵にことごとく殺されたという。
現在、大将陣は公園となっており、巌邑城址碑のほか、格菴丹羽瀬先生紀功碑,至誠会の碑も建てられている。