保科正直屋敷跡
ほしなまさなお やしきあと (Residence Ruins of Masanao Hoshina)
【R-AC037】探訪日:2020/11/13
愛知県安城市山崎町大手
【MAP】
〔駐車場所〕
1584(天正12)年頃には保科正直の屋敷となっていた。正直は信濃国高遠城主で武田信玄に仕えてからは信濃先方衆として活躍し、武田氏衰退後も最後まで武田勝頼に忠義を尽くしたが、滅亡後は北条氏に帰属した。その後、徳川家康の勧誘により、小牧長久手の戦いの頃には家康につき、三河山崎村に知行地を与えられた。現在の正法寺の境内にあたる。1590(天正18)年の家康の関東移封に従って下総国多胡に移るまで住んだという。保科氏は最後まで徳川家に仕え、その家系は幕末の会津藩主・松平容保にも通じる。
保科正直屋敷としての明確な遺構は残されていない。なお、すぐ近くに山崎城跡がある。
【史跡規模】 |
【指 定】安城市指定史跡(1965年10月1日指定) |
関連時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
関連年号 | 1584年 | 1590年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
保科正直 | G514 | 徳川家康 | TG01 |
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▲遠景