東端城跡
ひがしばたじょうあと (Higashibata Castle Ruins)
【C-AC354】探訪日:2020/11/17
愛知県安城市東端町中縄手
【MAP】
〔駐車場所〕
1580(天正8)年、大浜郷ので羽城の長田久右衛門重元の長子・長田尚勝によって築かれた。長田氏は平安時代に知多半島の野間一帯を支配していた豪族で、平治の乱に敗れた源義朝が野間に立ち寄った際、義朝を騙し討ちした長田忠致の末裔である。
尚勝の弟である直勝は松平信康に仕えていたが、信康自刃後は羽城で謹慎していた。その後、18歳で家康に仕え、姓も長田から永井に改めて永井伝八郎直勝と名乗るようになる。1584(天正12)年の小牧長久手の戦いでは羽柴方の将池田恒興を討ち取る功を挙げたことで、兄にかわって東端城主となった。
1590(天正18)年、徳川家康の関東移封に際しては、直勝はこの地に留まるが、1615(元和元)年の大坂夏の陣では豊臣秀頼の切腹見届けの大役を勤める活躍で、1617(元和3)年、32000石の常陸国笠間城主となり転出したことで東端城は廃城となった。
本曲輪は、方形あるいは台形に近い形で周りは高さ8~10mの土塁に囲まれている。北東から南の土塁の外側には幅10~15mの帯曲輪が付いており、また、土塁の東側と西側には、周囲より高くなった方形の平坦部があり物見櫓跡の可能性が高い。
現在、城跡は城山八幡宮となっている。