堀之内城山城跡
ほりのうちしろやまじょうあと (Horinouchishiroyama Castle Ruins)
【C-SZ059】探訪日:2020/10/30・2020/12/7
静岡県浜松市天竜区春野町堀之内字城山
【MAP】
〔駐車場所〕 西から犬居橋を渡り右に入ると小さな案内板があり、その先に駐車スペースがある。
1574(天正2)年、徳川家康が犬居城攻めのために築いた付城と考えられている。犬居城主の天野景貫は、今川氏が弱体化すると一度は徳川方に付いたが、その後武田信玄の遠江侵攻が始まると武田氏に寝返り、遠江における武田氏の尖兵として活動した。家康は犬居城を2度にわたって攻撃した。1574(天正2)年の攻撃では徳川軍は撃退されたが、武田勝頼が長篠設楽ヶ原の戦いで大敗した翌年の1576(天正4)年に再び総攻撃をかけ、犬居城を落城させた。堀之内城山城は、この2度に渡る犬居城攻撃の際の徳川方本陣として構えられたものと推測されている。
城は、犬居城からは南東1.4kmの標高330mの山頂に築かれ、山頂に仕切り土塁で区画された主郭とニノ曲輪を置き、北斜面に1段の広い腰曲輪を備えている。二ノ曲輪直下の段曲輪には浅い横堀も築かれている。
なお、近年、ハイキングコースも整備されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1574年・1576年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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徳川家康 | TG01 | 天野景貫 | F015 |
ハイキングコースになっているということで安心して訪れたが、城域は整備されておらず縄張確認ができない状況であった。土橋を進んだ後は道がわからず、直登したところ3回ほど滑り落ちる始末。途中、覆い茂ったシダのトンネルを掻き分けたり雑木を抜けたりすると、突然、二の曲輪や本曲輪,腰曲輪の立て札が目の前に現れ、自分の位置感覚は狂ってしまった。せめて【転載】写真の風景に出会いたかった。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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▲城跡への入口
▲塩の道へはいる
▲塩の道
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▲左に大日如来像
▲大日如来像
▲右へ折れ、しばらく進むと城跡
▲堀の内の城山
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▲堀切
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▲土橋
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▲二の曲輪
▲二の曲輪
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▲本曲輪
▲腰曲輪
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▲背丈ほどのシダのトンネル
▲【転載】土橋
▲【転載】腰曲輪