三行城(御幸城)跡
みゆきじょうあと (Miyuki Castle Ruins)
【C-ME076】探訪日:2020/10.25
三重県津市河芸町三行
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、元亀年間(1570~73年)に伊藤助重によって築城された。工藤祐経の末裔の工藤光種が改姓して伊藤氏を名乗り、その子・助重が三行村に隠居した際に築城したとされる。
1571(元亀2)年、助重の子・内蔵助重坊は織田信長の伊勢攻めの際に織田信孝の幕下に属した。そして、翌1572(元亀3)年には老齢のため領地を上野の分部左京亮光嘉に譲り、名を茂右門尉茂坊と改めて神職に就いている。
三行城は田中川の北の丘陵頂部を階段状に加工し、五つの郭群として築かれていたが、道路建設,宅地化などで現存するのは一つの郭(郭B)のみである。標高31m,比高10m、当時は東西約200m×南北約120mの平城であった。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1570~73年・1571年・1572年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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伊藤助重 | F*** | 伊藤光種 | F*** | 伊藤重坊 | F*** |
織田信孝 | OD04 | 分部光嘉 | F052 |
三行城縄張り図(「三行城跡発掘調査報告~1985. 3 三重県教育委員会」を編集)