八田城跡
はったじょうあと (Hatta Castle Ruins)
【C-ME058】探訪日:2020/9/30
三重県松阪市嬉野八田町134
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、鎌倉時代に三浦五郎左衛門尉盛時が相模国からこの地にきて築いたとされ、三浦氏は後に大和多氏と名を改めた。
正平年間(1346~70年)頃には国司の北畠顕能に従い、以後、歴代国司家に属し、戦国時代には伊勢北畠氏に属していた。
1569(永禄12)年、織田信長の伊勢侵攻では木下藤吉郎がこの城を攻めたが、大和多監物が城を堅く守ったという。しかし、1576(天正4)年に北畠家が滅亡すると、大和多氏は城を出て下之庄に住み土着し、再び三浦と改めたという。
城は中村川の南側の標高約58mの丘陵突端部にあり、西側の表登城道(説明板や石碑がある)と東側の裏登城道(竹林)がある。主郭は広く周囲に土塁が巡らされており、現在は公園として整備されている。主郭には東と南に虎口があり、南の虎口のところに櫓台がある。虎口の先の空堀には「あぶな橋」と名付けられた木橋は架かり、その空堀は主郭の東側へと廻り込んでいる。
なお、城の北側山麓には、三浦氏の祖である三浦大介義明の霊を祀る三浦山義明寺がある。
【史跡規模】 |
【指 定】松阪市指定史跡(2006年3月23日指定) |
関連時代 | 鎌倉時代 | 南北朝時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1346~70年 | 1569年・1576年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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三浦盛時 | H515 | 北畠顕能 | G820 | 織田信長 | OD04 |
木下藤吉郎 | ZZ01 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲遠景
▲表登城口(右側)と裏登城口(左側)
▲表登城口
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▲城址碑
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▲裏登城口
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▲砦門(表登城道)
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▲堀切
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▲裏登城道
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▲井戸跡
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▲主郭手前の曲輪
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▲虎口
▲虎口
▲虎口横の土塁
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▲主郭
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▲主郭周囲の土塁
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▲櫓台
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▲虎口から見たあぶな橋
▲あぶな橋
▲主郭南側の堀切
▲堀切下から見たあぶな橋
▲主郭東側の空堀