天花寺城跡

てんげいじじょうあと (Tengeiji Castle Ruins)

【C-ME057】探訪日:2020/9/30

【C-ME057】天花寺城跡 三重県松阪市嬉野天花寺町

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年代,築城者は定かではないが、平安時代の築城と考えられ、鎌倉時代には久我三郎が城主として挙げられる。以降、久我修理太夫の子・主計介が姓を天花寺に改称し北畠氏に仕えた。このほか天花寺広高,天花寺新左衛門も居城したとされる。
 永禄年間(1558~70年)の織田信長の南伊勢侵攻に対しては、北畠氏が近隣の武士たちを天花寺城に入れ籠城戦を行った可能性が高い。天花寺小次郎は3ヶ年にわたり城を守ったが1571(元亀2)年に討死し廃城となった。
 主郭は段丘の北東端で土塁が巡り、南西に空堀を設けその外側に二郭、さらに空堀を隔てて三郭へと続いていたが、三郭は県道建設によって分断されている。主郭の北東尾根には二重の堀切が設けられ、南には土塁によって外枡形状になっている虎口がある。さらに広大な四郭,五郭と続くが、ここには古墳群や室町時代から戦国時代の墓地跡があり、多数の石塔や石仏が出土している。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 平安時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1558~70年・1571年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
久我三郎 G8** 久我主計介 G8** 天花寺広高 G8**
天花寺新左衛門 G8** 織田信長 OD04 天花寺小次郎 G8**

 

【C-ME057】天花寺城跡
 計画外の探訪であったが、あとから調べると虎口とは反対の主郭の北側から登ったことがわかった。切岸を右手にして尾根に沿って歩くと、ほどなく堀切が現れ主郭へと到達した。主郭は竹林となっていたが、比較的広いほうであろう。

 

【C-ME057】天花寺城跡

 

天花寺城地形図(「天花寺丘陵内遺跡群発掘調査報告」より引用加筆)

【C-ME057】天花寺城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

城跡の東側 城跡の東側 今回の登り口(主郭北側) 堀切 堀切 堀切 主郭の土塁 主郭 倒壊した祠