雲林院城跡

うじいじょうあと (Ujii Castle Ruins)

【C-ME031】探訪日:2020/9/15

【C-ME031】雲林院城跡 三重県津市芸濃町雲林院

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME031】雲林院城跡

   1331(元徳3/元弘元)年、雲林院祐高によって築かれたとされる。 雲林院は長野城主2代・長野祐藤の子・祐高(祐尊)が雲林院氏を名乗ったことに始まる。雲林院氏は長野氏一族としてその中核にあって代々続いたが、永禄年間(1558~70年)に長野氏は織田信長に降って信長弟の信包を養子として迎えて家督を継いだため、雲林院氏も織田氏の配下となった。1580(天正8)年、長野(織田)信包は雲林院氏を追い払おうと老臣・野呂民部少輔を謀殺し、雲林院出羽守父子は伊勢を追い出され廃城となった。
 城は安濃川の南岸に位置し、安濃川に面した丘陵の頂部に築かれている。林光寺の南にある尾根筋が大手となり、二段の削平地があって南側に土塁が残り、虎口を設けている。そこから堀切を経て西の主郭へと続いている。主郭に城址の看板は建っている。南の谷は風呂の谷といい、遺構はこの谷を囲むように主郭から南の尾根、そして東へと伸びている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号 1331年 1580年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
雲林院祐高 F051 長野(織田)信包 F051 野呂民部少輔 ****
雲林院祐基 F051

 

【C-ME031】雲林院城跡
 北側の里山再生事業の作業道から登ってしまったが、途中からは山の斜面を這い上がることになった。上へ上へと登り、なんとか雲林院城跡の案内板を見つけた(実際は案内板は地に落ちていたが支柱に載せて撮影)。その周りはシダと笹で地面がほとんど見えないくらいであった。少し進むと地面が現れたが、郭の構造がよくわからなかった。下りは風呂の谷と呼ばれる斜面を右にして歩いていくと大手~林光寺墓所へと出ることができた。本来は、こちらから登城する。 

 

【C-ME031】雲林院城跡

【C-ME031】雲林院城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲遠景

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▲林光寺

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▲駐車場奥へ進む

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▲左の登り口を行く

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▲大手

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▲大手

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▲大手の土塁

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▲主郭の看板

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▲シダと笹で覆われている

【C-ME031】雲林院城跡

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▲前方が土塁らしいが不明

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▲堀切

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▲堀切

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▲風の谷

【C-ME031】雲林院城跡

▲風の谷

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▲城跡北側にある道路の看板

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▲北側の登り口(道はない)