新所城跡

しんじょじょうあと(Shinjo Castle Ruins)

【C-ME046】探訪日:2020/8.5・9.15

【C-ME046】新所城跡 三重県亀山市関町新所字城山

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME046】新所城跡

   築城年代は定かではないが、天正年間(1573~92年)に亀山城主の関盛信によって築かれたとされる。
 1583(天正11)年、織田信孝から離反し羽柴秀吉方についた関盛信が年賀のために秀吉のもとを訪れている隙に、関氏の家臣で反羽柴派の岩間七郎左衛門などが亀山城と新所城を奪い、新所城は信孝方の滝川一益に渡された。これに対して秀吉は大軍を率いて北伊勢に侵攻し、峯城と亀山城を攻め落とした後に新所城も奪い返した。秀吉は城を奪還すると、浅野長政,朽木元綱らに命じて改修させ、ふたたび関氏に城を預けた。
 その後、盛信は蒲生氏郷の家臣となるが、1590(天正18)年に氏郷が会津に転封となると、盛信の次男で家督を継いでいた関一政が白川城を与えられたため廃城になった。
 新所城は標高153mの城山に築かれており、三つの独立丘陵がそれぞれ曲輪を成し遺構は山全体の尾根に展開している。標高153mの山頂のある東西に伸びた曲輪が最も大きい。山頂から南東へ伸びた尾根の先端にある曲輪の中心は西に枡形状の虎口があり、東側に土塁を備え北東端は櫓台になっている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1573~83年・1583年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
関 盛信 H145 羽柴秀吉 ZZ01 岩間七郎左衛門 ****
滝川一益 KI43 浅野長政 G147 朽木元綱 G745
蒲生氏郷 F923 関 一政 H145

 

【C-ME046】新所城跡
 1回目の探訪では登城口の案内板を直進してしまい、斜面を這い上って標高153mの西の曲輪にはたどり着いたが、時間がなくそこで諦めた。2回目(リベンジ)探訪では登城口から右へと進み、尾根に出るルートを見つけることができ、東へと続く大きく3つの曲輪群を確認できた。途中巨石はあるものの比較的歩きやすい道であり、比高も50mほどということで、戻りも東の登城口から上り、西の登城口へと歩くことにした。 

 

【C-ME046】新所城跡

【C-ME046】新所城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

関公園駐車場前のこの奥に登城口がある 案内板の右へ進む ここも右へ進む 石垣が続く 巨石が現れる ロープを伝って尾根に出る 尾根にある巨石の上を歩く 尾根を東へ進む 最も大きい西の曲輪 ロープを伝って南(左)に下りる 斜面は池へとつながる 堀切 ロープを伝って西の曲輪へもどる 東へ向かう 中の曲輪 中の曲輪 さらに東へ進む 東の曲輪 東へ下る 池 東側の出口=登城口 この奥に東側の出口(国道1号線沿い)