木下勘解由塚〔小牧長久手古戦場〕
きのした かげゆ づか〔こまきながくてこせんじょう〕
(Kinoshita Kageyu Zuka;Place Where Kinoshita Kageyu Was Killed [Historic Battlefield of Komaki-Nagakute])
【B-AC002c05】探訪日:2014/8/31
愛知県長久手市荒田1-2
【MAP】
〔駐車場所〕
1584(天正12)年4月9日早朝、秀吉方の岡崎侵攻(三河国中入り)の総大将である三好信吉(のちの豊臣秀次,当時17歳)軍は白山林で朝食のため休息中であった。これを追走してきた徳川軍の大須賀康高,岡部長盛隊が発見。まず林間に紛れ北東側面より鉄砲を一斉射撃、続いて榊原康政,本多忠重,水野忠重,丹羽氏次の隊が背後や南西側面から奇襲に加わった。これによって三好勢は潰滅する。信吉は自身の馬を失い、徒歩でここまで敗走してきたところ、供回りの木下勘解由利匡が自分の馬を信吉へ与え、長久手桧ヶ根の堀秀政本陣へと逃がした。木下勘解由は、御幣を地に立てて追ってきた敵と奮戦し戦死した。また、目付として付けられていた木下祐久や多くの木下氏一族が、総大将の退路を確保するためにこの地で討ち死にした。
後世、ここを勘解由塚,御幣塚,上様塚などと呼ぶようになった。