堀秀政本陣地跡〔小牧長久手古戦場〕
ほりひでまさ ほんじんちあと〔こまきながくてこせんじょう〕
(Headquarters ruin of Hori Hidemasa [Historic Battlefield of Komaki-Nagakute])
【B-AC002a12】探訪日:1989/12/23・2020/9/5
愛知県長久手市坊の後113
【MAP】
〔駐車場所〕
1584(天正12)年4月9日、堀久太郎秀政は岡崎侵攻(三河国中入り)の第3陣として兵3,000を率いて東進中、やがて、後方の第4陣の総大将・三好信吉(のちの豊臣秀次)の隊が徳川別働隊の奇襲を受け敗退したことを知る。堀勢は直ちに引き返し、敗走してきた第4陣の敗残兵を組み込んでここ桧ヶ根に陣を敷いた。三好勢を撃破して勢いに乗った徳川軍は、堀勢を攻撃したが、返り討ちにされて逆に追撃された。徳川軍別働隊の死者は280余とも500人ともいう。しかし、御旗山に家康の馬印である金扇を望見すると、秀政は戦況が有利ではないことを悟り深追いはせず後退した。