知恩院

ちおんいん(Chion-in Temple)

【T-KT029】探訪日:2003/10.16・2015/10.4

【T-KT029】知恩院 京都府京都市東山区林下町400 <📲:075-531-2111>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-KT029】知恩院

   1175(承安5)年、「専修念仏」の思想に開眼し浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りた法然が、東山の吉水に吉水草庵(現・知恩院御影堂もしくは現・安養寺)を建てたことに始まる。本尊は法然上人像(御影堂)および阿弥陀如来像(阿弥陀堂)。詳名は華頂山知恩教院大谷寺。
 「専修念仏」とは、いかなる者も一心に阿弥陀仏(阿弥陀如来)の名を唱えれば極楽往生できるとする思想であり、この思想は旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となった。1207(建永2)年、承元の法難で法然は讃岐国に流罪となったが、4年後には許されて都に戻る。その際、吉水草庵は荒れ果てていたため、近くの大谷禅房(現・知恩院勢至堂)に入った。しかし、翌1212(建暦2)年1月25日に80歳で没している。
 法然の死後、大谷禅房の隣に法然の廟が造られ弟子が守っていたが、1227(嘉禄3)年には延暦寺の衆徒によって破壊されてしまった(嘉禄の法難)。しかし、1234(文暦元)年に紫野門徒の勢観房源智が再興し、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜されるなどすると、次第に紫野門徒の拠点となっていった。
 1276(建治2)年、紫野門徒の百万遍知恩寺3世・信慧は、鎌倉からやってきた鎮西義の弁長の弟子・良忠と東山の赤築地において談義を行ったが、両流の相違するところが全くなく符合したため、以後、源智の門流は鎮西義に合流することとなった(赤築地の談)。これにより、紫野門徒の拠点であった知恩院と百万遍知恩寺は鎮西義の京都での有力な拠点となった。
 1467(応仁元)年からの応仁の乱の際には、知恩院22世・周誉珠琳が近江国伊香立の金蓮寺に避難し、法然御影や仏像,宝物類を付近にあった庵に避難させ、この庵を改めて新知恩院とした。そして、1478(文明10)年に知恩院を再興する。
 1523(大永3)年、知恩院25世・超誉存牛(松平長親の弟)と百万遍知恩寺25世・慶秀との間で本寺争いとなったが知恩院が勝利し、鎮西義で第一の座次となり本山となった。1530(享禄3)年に勢至堂が再興され、後奈良天皇より宸翰と「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜っている。
 現存のような壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代に入ってからのことである。浄土宗徒であった徳川家康は1603(慶長8)年に知恩院を永代菩提所と定めて寺領703石余を寄進したうえ、翌年からは、北に隣接する青蓮院の地を割いて知恩院の寺地を拡大し、諸堂の造営を行っている。造営は2代将軍・徳川秀忠に引き継がれ、現存の三門は1621(元和7)年に建設された。1633(寛永10)年の火災で、三門,経蔵,勢至堂を残しほぼ全焼するが、3代将軍・徳川家光のもとでただちに再建が進められ、1641(寛永18)年までにほぼ完成している。なお、徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であることのほか、威勢を誇示し京都御所を見下ろし朝廷を牽制するといった、政治的な背景もあったといわれている。
 知恩院の境内は、三門や塔頭寺院のある下段、御影堂(本堂)など中心伽藍のある中段、そして勢至堂,法然廟などのある上段の3つに分かれている。このうち、上段が開創当初の寺域であり、中段,下段の大伽藍は江戸時代になって江戸幕府の全面的な援助で新たに造営されたものである。
 三門は1619(元和5)年9月に徳川秀忠の命で経蔵とともに造営が始められ、1621(元和7)年秋にはほぼ完成した。東大寺南大門より大きく、現存する日本の寺院の三門の中で最大の二階二重門である。御影堂は本堂,大殿とも呼ばれ、法然ゆかりの吉水草庵があった場所であるとされている。1633(寛永10)年に焼失したが、1639(寛永16)年に徳川家光によって再建された。阿弥陀堂は御影堂の向かって左に東面して建ち、阿弥陀如来坐像を安置する。

【史跡規模】

 

【指 定】国指定名勝:知恩院方丈庭園(2021年3月26日指定)

【国 宝】本堂(御影堂)(附:歩廊)         ・三門

     ・紙本著色法然上人絵伝48巻    ・絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図

     ・菩薩処胎経(魏大統十六年陶仵虎願経)・大楼炭経 巻第三(唐咸亨四年蘇慶節敬造一切経)

     ・上宮聖徳法王帝説:聖徳太子の現存唯一の伝記写本

【国重文】〔建造物〕

     大方丈(附:玄関及び歩廊) ・小方丈(附:歩廊)

     ・集會堂(附:玄関)

     ・大庫裏(附:歩廊及び玄関) ・小庫裏(附:歩廊)

     ・唐門     ・大鐘楼   ・経蔵     ・勢至堂

     美術工芸品〕

     ・綾本著色毘沙門天像     ・絹本著色阿弥陀経曼荼羅図

     ・絹本著色観経曼荼羅図    ・絹本著色紅玻璃阿弥陀像

     ・絹本著色地蔵菩薩像     ・紙本著色法然聖人絵

     ・絹本著色阿弥陀浄土図    ・絹本著色桃李園金谷園図 2幅 仇英筆

     ・絹本著色蓮花図 2幅     ・絹本著色牡丹図

     ・押出鍍金三尊仏 2面     ・木造阿弥陀如来立像

     ・木造善導大師立像      ・木造勢至菩薩坐像

     ・木造釈迦如来及両脇侍像   ・木造十六羅漢坐像16躯

     ・木造徳川家康坐像      ・木造徳川秀忠坐像

     ・刺繍須弥山日月図九条袈裟 屏風仕立

     ・海竜王経 4帖        ・紺紙金字後奈良天皇宸翰阿弥陀経

     ・大唐三蔵玄奘法師表啓    ・十地論歓喜地 巻三

     ・順次往生講式        ・大通方広経 巻下

     ・中阿鋡経 第廿九      ・註楞伽経 巻第五

     ・超日明三昧経 巻上     ・菩薩地持論 10帖

     ・法華経玄賛巻第三      ・法華経玄賛巻第二,第七,第十

     ・瑜伽師地論 81帖 、1巻    ・宋版一切経 5,969帖

     ・三略 上中下        ・天平年間写経生日記

関連時代 平安時代:後期 鎌倉時代 室町時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 1175年 1212年・1234年 1478年 1523年 1603年・1641年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
法然 **** 源智 **** 周誉珠琳 ****
超誉存牛 MT01 徳川家康 TG01 徳川秀忠 TG02
徳川家光 TG03

 

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三門 男坂 阿弥陀堂 本堂(御影堂) 御影堂内陣 宝仏殿 宝仏殿 経蔵 納骨堂 大鐘楼 勢至堂 勢至堂 法然上人廟所 拝殿(奥に御廟がある) 小方丈の「雪景の間」(狩野派による水墨画)