藤原仲麻呂屋敷跡
ふじわらのなかまろ やしきあと(Residence Ruins of Nakamaro Fujiwara)
【R-NR005】探訪日:2018/10.3
奈良県奈良市四条大路1丁目18
【MAP】
〔駐車場所〕
奈良時代、平城京の左京四条二坊九坪(現在の奈良市四条大路一丁目)辺りに藤原仲麻呂の邸宅(田村第)があったとされる。のちに孝謙天皇が長逗留したことから「田村宮」とも呼ばれた。現在、遺構はなく位置の確定も難しいため四条大路一丁目第1号街区公園に説明板が設置されている。
706(慶雲3)年、仲麻呂は藤原南家に藤原不比等の孫として生まれ、幼き時より聡明鋭敏で優れた学才を示した。737(天平9)年、父・藤原武智麻呂や三人の叔父が次々に病死すると、後を継いで政治に取り組むようになる。高い政治理念のもと、数々の政治改革を成し遂げたが、やがて政敵の橘諸兄との対立や当初は良好だった孝謙上皇との関係も道鏡の出現で崩れていく。また、後ろ盾であった光明皇太后の崩御も大きな打撃であった。危機感を抱いた仲麻呂は、764(天平宝字8)年、軍事力の掌握を企てるが謀反の密告により捕縛,斬首された。享年59。
仲麻呂の滅亡後、彼が推進してきた養老律令はじめとする先進的な政策の多くは一部修正を加えられながらもその後の政権によって継続されていくことになる。