和泉式部墓所

いずみしきぶ ぼしょ(Grave of Izumi Shikibu)

【K-KT067】探訪日:2020/6.8

【K-KT067】和泉式部墓所 京都府木津川市木津殿城14

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-KT067】和泉式部墓所

   平安時代の中古三十六歌仙のひとりで女流歌人、『和泉式部日記』『和泉式部集』などの歌集を残した和泉式部の墓と伝わる。木津で生まれ宮仕えの後、木津に戻って余生を送ったとも伝えられているが、生誕地含め死所についても諸説あり、墓といわれるものは、北は岩手県北上市から南は山口県山陽小野田市まで数多く存在する。
 父の越前守・大江雅致の官名の式部丞と、最初の夫の橘道貞の任国である和泉国とを合わせて女房名を「和泉式部」としたとの説がある。その後も為尊親王,敦道親王ら何人かの人物と付き合い、子も儲けている。寛弘年間の末(1008~11年頃)には、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕し、1013(長和2)年頃、彰子の父・藤原道長の家司で武勇をもって知られた藤原保昌と再婚し、夫の任国の丹後に下っている。
 晩年の動静についても諸説あるが、京都に戻り、1027(万寿4)年に藤原道長が式部(専意法尼)のために建立した東北院誠心院の初代住職となったともいう(誠心院の起こり)。没年は不明。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 平安時代:中期
関連年号 1027年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
和泉式部 OE05 大江雅致 OE05 橘 道貞 TB11
藤原保昌 F062

 

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