撰要寺砦跡
せんようじとりであと(Senyoji Fort Ruins)
【C-SZ149】探訪日:2024/9.15
静岡県掛川市山崎1302-1
【MAP】
〔駐車場所〕撰要寺の西側に駐車場がある。また、門前左側にも駐車スペースがある。
小谷田の舌状台地先端部に築かれているため、小谷田砦ともいう。1581(天正9)年3月に高天神城は陥落した後、横須賀城主・大須賀康高が撰要寺を創建し、多くの墓塔群が立ち並ぶ。当初、康高が横須賀城築城の際に候補地に挙げられたという。さらに、高天神城攻略の際には、大須賀康高が守備した砦のひとつでもある。
撰要寺後方(北側)の標高24m,比高18mの最高所(ここにも墓が建つ)が主郭と考えられ、一部空堀の跡がみられる。南に向かって何段かの平場(ここも墓が建つ)が続くが、砦の腰曲輪であった可能性が高い。また、撰要寺の北側と東側には大規模な谷堀がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1581年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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大須賀康高 | H455 |
撰要寺の訪問は3回目になるが、砦としてとらえて訪れたのは初めて。これまで丘陵頂上(主郭)まで行くことはなかった。墓地としての後加工はあると思うが、そこが腰曲輪であったと見ることでできる。いずれの場所にも墓塔が立ち並ぶ。北側の谷堀は木々雑草の間からは何とかのぞき見ることができたが、堀底(水面)をはっきり撮影できる個所が見つからなかったのは残念(草木が枯れる季節ならば見ることができそう)。また、東側の谷堀も確認ができなかった。
撰要寺砦縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)