推古天皇22年6月13日(614年7月24日)最終となる遣隋使として犬上君御田鍬は矢田部造(名不明)とともに隋に渡った。翌推古天皇23年(615年)9月に百済使を伴って帰国した。 舒明天皇2年(630年)には薬師恵日とともに唐に遣わされた。このとき二人は大仁の冠位であった。一行は631年に皇帝太宗と謁見し、『旧唐書』によると、この時、太宗はその道の遠いことを矜(あわ)れみ(同情し)、担当の役人に勅して、毎年の入貢をやめさせたという。唐は高表仁に御田鍬を送らせ、舒明天皇4年(632年)8月に対馬国に着いた。学問僧霊雲・僧旻,勝鳥養,新羅の送使も行をともにした。高表仁は10月4日に難波津に着き、翌年1月26日に帰国したが、この間の御田鍬らの動向は明らかではない。 |
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