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兄磯城 | 磯城黒速 |
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『日本書紀』巻第三によると、神日本磐余彦天皇の東征の際に、磐余彦の軍は高倉山の国見丘に女坂に女軍、男坂に男軍、墨坂に焃炭を置いた。この時、丘の上には八十梟帥軍が構えており、磐余邑には兄磯城の軍が満ち溢れており、皆要害の地であり、道路が絶え塞がって通れるところがなくなっていた。 磐余彦は先に八十梟帥を倒し、道臣命に司令して残党を宴饗にかこつけて騙して皆殺しにした。それから皇師は磯城彦を攻めようとして使者を遣わして、兄磯城を呼び出そうとしたが応じなかった。そこで八咫烏を遣わしたが、弓を引いて追い払った。この物語は、兄猾の話と酷似しており、あるいは『書紀』の撰者が両者の伝承を混同してしまった可能性がある。 |
大和国磯城(現在の奈良県桜井市あたり)地方を支配する豪族。『古事記』では「弟師木」と表記されている。弟磯城は通称で、本名は「黒速」という。 『日本書紀』巻第三によると、神日本磐余彦天皇の命で兄磯城を呼び出しに行き、弓矢で追い返された八咫烏は弟磯城の家へ行き、兄磯城に告げたのと同じ文言を伝えた。 |