SW04:高辻是綱 | 土師身臣 ― 菅原古人 ― 菅原道真 ― 高辻是綱 ― 久松道定 | SW07:久松道定 | ● |
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久松道定 | 久松俊勝 |
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菅原道真が大宰府に左遷されたとき、長孫の久松麿(後の雅規)は、尾張国知多郡阿久居へ配流され、この地の人は彼を久松殿と呼んだ。のちの南北朝時代に京都から雅規の後裔が阿久居に下向し、この地の領主となった。そして、室町期に雅規14世孫の道定が足利将軍家に仕えて阿古居の地7,000貫を所領として認められ、先祖久松麿にちなみ久松氏を称したという。飯高郡阿波曽村へ移り、100年ほど当地にいた。 |
尾張国守護斯波氏に仕える国人領主であった久松氏は、戦国時代には大野城を本拠とする佐治氏と争っていた。しかし俊勝は天文15年(1546年)佐治氏の一族より長子・信俊の妻を迎えることでこれと和睦した。 |
多劫姫 | |
天文22年(1553年)、尾張阿久居城にて久松俊勝と於大の娘として生まれる。初め松平忠正に嫁ぎ、家広を産んだ。しかし、天正5年(1577年)に夫が死去したため、その弟・忠吉に再嫁した。忠吉との間に二子(松平信吉,松平忠頼)を儲けたが、天正10年(1582年)に夫が死去し、多劫姫は再び寡婦となった。 |