ON07:横山兼長 | 小野妹子 ― 横山義隆 ― 横山隆兼 ― 横山時重 ― 横山兼長 ― 横山康玄 | ON08:横山康玄 | ● |
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横山康玄 | 横山貴林 |
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慶長2年(1597年)、8歳で初めて前田利長に拝謁する。慶長9年(1604年)、知行1000石を与えられる。慶長19年(1614年)、父・長知が前田家を退身したため、同行し京都山科に居住する。同年大坂冬の陣が起こると父が前田家に帰参し、康玄も大津にて主君前田利常に拝謁して帰参・出陣する。元和元年(1615年)、大坂夏の陣に再び出陣し、四宮右五衛門を討ち取る戦功を挙げる。元和2年(1616年)、功を称され家老となり、4000石の加増を受ける。寛永8年(1631年)、主君・前田利常が幕府より謀反の嫌疑を受けた際、老中・土井利勝に弁明してその嫌疑を晴らす。その功績で4000石の加増を受け、合わせて禄高9000石となる。後に、父の所領の一部を譲られて15000石に至った。正保2年(1645年)9月18日、金沢に没す。享年56。墓所は石川県金沢市野田山墓地。父・長知に先立って没したため、家督は嫡男の忠次が嫡孫承祖した。 |
宝永元年(1704年)5月、横山任風の末期婿養子となる。同年11月、家督相続を許され知行3万石を相続する。正徳2年(1712年)、人持組頭,年寄となる。享保8年(1723年)、藩主前田吉徳の家督相続の御礼言上のため江戸城で将軍徳川吉宗に拝謁する。享保9年(1724年)、従五位下・大和守に任官する。享保12年(1727年)、養父の遺領のうち2500石も相続する。 |
横山隆章 | |
文化13年(1816年)、隆盛の死去により家督と3万石の知行を相続する。 |