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松平英親 | 松平 精 |
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高田藩初代藩主となる松平重直の長男。当時の重直は出羽上山藩主松平重忠の養嗣子で、翌年に家督相続するが、その直後に一度摂津三田藩へ転封し、その後6年で高田藩(当初は竜王藩)へ転封している。
寛永20年(1643年)正月に家督を継ぐ。正保2年(1645年)、高田から杵築3万2000石に移封された。藩政を確立するために25か条の法令をはじめ、寛文2年(1662年)からは検地を実施して新田開発などに尽力した。明暦2年(1656年)の日根野吉明改易時の府内城受け取り役も務めている。 |
学習院高等科を経て、1934年に東京帝国大学船舶工学科卒業。造船所の実習では肉体労働が多く、三菱航空機の工場を見学すると学問的であるため、航空機の道を選択する。海軍航空技術廠の技術者募集に申し込み、海軍に奉職。1935年から1936年にかけて陸軍に徴兵された後、海軍に復帰。振動問題を手掛けるよう命じられ、機械振動学を一から勉強して専門家となる。 試験飛行中の零式艦上戦闘機の空中分解事故の原因が、後尾翼昇降舵のフラッターにあることを模型実験により突き止めた。山名正夫とともに原因調査のリーダーシップを取り、マスバランスが先に疲労破壊し、その状態で急降下試験をしたため、フラッターが発見したと結論付けた。また、零式艦上戦闘機の別の空中分解事故の原因解析の際、10分の1スケールの主翼模型で風洞実験を行い、主翼のねじれ振動が起きることを突き止めた。その他、雷電の振動問題の解決にも携わった。 |