兵庫頭・安倍友氏の次男。刑部卿・賀茂定弘の養子。官位は正三位修理大夫。幸徳井家の祖。 陰陽助・賀茂定弘に付いて陰陽道を学んでいたが、応永26年(1419年)にその養子となり安倍姓から賀茂姓に改姓する。修理亮を経て、応永30年(1423年)従五位下遠江守に叙任される。しばらく従五位下に留まるが、永享11年(1439年)正五位下に昇叙されると、嘉吉2年(1442年)従四位下、文安元年(1444年)修理権大夫に叙任される。享徳2年(1454年)従三位に叙せられ公卿に列す。 友幸は奈良郊外の高畠幸村の幸徳井という井戸のある地に居宅を構えて、興福寺大乗院門跡の尋尊に仕えた。友幸は尋尊の元で陰陽道や暦道を掌ったのみならず、政治顧問的な役目を果たしていたという。また、その居住地より「幸徳井」の家名を号した。 文明5年(1473年)薨去。享年83。
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