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度会行忠 | |
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1251年(建長3年)から53年間、外宮の禰宜を務めた。しかし、1282年(弘安5年)に内宮の造営料木に口出しをしたため禰宜を免除され、京都に移り住んだ。京都で様々な教養を身に付け、時の関白であった公卿・鷹司兼平の命令により1285年(弘安8年)から1287年(弘安10年)にかけて神道五部書の所説を明らかにした著書『伊勢二所太神宮神名秘書』を著した。同書は亀山天皇に認められ、同年1287年に禰宜に復職した。 1293年(正応6年)に『伊勢二所太神宮神名秘書』の略本を著した。1298年(永仁6年)から1300年(正安2年)にかけて度会氏の家系を纏めた『古老口実伝』を著した。行忠による『大元神一秘書』の執筆の可能性も指摘される。 1304年(嘉元2年)に一禰宜になったが、翌年に亡くなった。行忠の後、同じく神道家の度会家行が禰宜となり、伊勢神道を確立した。 |