初め好風王を名乗る。貞観15年(873年)降雨祈願のため、神祇大祐・大中臣常道とともに伊勢神宮に派遣される。翌貞観16年(874年)に父・茂世王の上奏により、子息の貞文とともに臣籍降下して平朝臣姓を名乗る。越前介を経て、仁和3年(885年)大宰少弐に任じられている。 |
中古三十六歌仙の一人。一般に平中と呼ばれた。貞観16年(874年)父・好風とともに平姓を賜与され臣籍に下る。 寛平3年(891年)内舎人に任官したのち、右馬権少允・右兵衛少尉を経て、延喜6年(906年)従五位下・外衛少将に叙任。その後は三河介,侍従,右馬助を歴任ののち、延喜19年(919年)左兵衛佐に任じられて主に武官を務めた。延喜22年(922年)従五位上に至る。翌延長元年(923年)6月三河権介に任ぜられるが、同年9月27日に卒去。 紀貫之,壬生忠岑,凡河内躬恒といった『古今和歌集』の撰者らと交流があった。延喜5年(905年)および翌6年の『貞文家歌合』など歌合を少なくとも3回主宰したことが知られている。『古今和歌集』(9首)以下の勅撰和歌集に26首が入集している。歌物語『平中物語』は平中を主人公としたものである。色好みとしても有名で「在中・平中」として在原業平と並び称されるほどだった。
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