| H303:永井直勝 | 平 高望 ― 平 良兼 ― 永井直勝 ― 永井尚征 | H304:永井尚征 | ● |

| リンク |
| 永井尚長 | 永井直圓 |
|---|---|
|
兄の尚房が早世(「遊所吉原にて横死」と記録される)したため、寛文6年(1666年)に嫡子となる。延宝元年(1673年)11月11日に父が死去したため、延宝2年(1674年)1月10日に家督を継いだ。延宝7年(1679年)11月1日には奏者番に任じられた。 |
父の跡は兄の尚長が家督を継いだが、その尚長が延宝8年(1680年)6月26日に志摩鳥羽藩主・内藤忠勝に殺されたため、永井氏は改易となった。しかし同年8月7日、弟の直圓が1万石で大和新庄藩主として家名を再興することを許された。ただし、この頃はまだ桑山一尹が藩主として存続していたため、恐らくは名義だけの領主だったものと思われる。 |
| 永井直哉 | |
| 慶応元年(1865年)10月、先代の永井直壮が死去した際、その養嗣子として跡を継いだ。同年12月19日、大坂加番を命じられる。慶応2年、従五位下信濃守に叙任する。慶応4年(1868年)1月19日、上洛する。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県により免官された。明治45年(1912年)1月11日、63歳で死去した。 |