G817:久我通言 | 源 師房 ― 源 顕房 ― 源 雅実 ― 久我通光 ― 久我通言 ― 久我通前 | G818:久我通前 | ● |
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久我通兄 | 久我信通 |
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江戸時代中期、おもに中御門天皇(114代)・桜町天皇(115代)・桃園天皇(116代)の三帝にわたって仕え、官位は従一位・右大臣まで昇った。 |
江戸時代後期、主に桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)・光格天皇(119代)の四帝にわたって仕え、官位は正二位・内大臣まで昇る。 |
久我建通 | 久我通久 |
京都で誕生する。文政5年(1822年)叙爵、文政9年(1856年)従三位、天保5年(1834年)正二位、嘉永5年(1852年)大納言と昇進を重ねる。安政元年(1854年)議奏に就任し権力を握ったため、“権関白”と称された。以後は朝幕間の調停に努め、条約勅許問題,和宮降嫁問題などに関係した。 |
1868年1月、明治新政府参与。2月、権大納言。大和国鎮撫惣督となる。7月、東北遊撃軍将。8月、海路越後に赴き、奥羽鎮撫惣督を援け、転戦して鶴岡に至り東北平定。11月、東京に凱旋。三等陸軍将。1869年3月、箱館軍の内地侵入を防ぐため鎮撫惣督として仙台に至り騒擾を鎮定。7月、陸軍少将。11月、兵部少輔。その後、元老院議官などを歴任。 |