村上源氏

G802:源 顕定  源 顕定 ― 海老名家季 G805:海老名家季

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海老名家季 海老名盛重

 一般に海老名氏は、源有兼に小野氏から養子に入った季兼が相模国海老名郷に土着して郷名を名字としたことに始まる。しかし、これは相模守を務めた有兼に結び付けようとした潤色と思われる。おそらく、当初から武蔵七党のひとつ横山党に属し武蔵小野郷を本貫とした族であろう。
 のちに家督争論のために数流の海老名氏に分かれて、その一流の家季は長治元年(1104)に播磨国那波に移住し、播州海老名氏の祖となった。その子孫は矢野庄を中心に活躍し、在地領主として鎌倉時代から室町時代に及び、江戸時代には百姓身分ながら、相生村の名家として存続した。

 歓喜光院領矢野荘別名の下司となり、居住する大嶋附近を、本国相模の「相」の字を取って相生村と名付け、鎌倉八幡宮を勧請したという。