醍醐源氏

K322:醍醐天皇  醍醐天皇 ― 源 伊陟 G796:源 伊陟

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源 伊陟

 村上朝の天暦6年(952年)氏爵により従五位下に叙爵し、天暦9年(955年)侍従に任ぜられる。天暦10年(956年)左兵衛権佐になると、天徳2年(958年)左近衛少将と武官を歴任するが、天徳5年(961年)3月には神賢使となり宇佐神宮へ派遣されるが、道中で患って備後国で引き返し、同年8月には狂病を理由に左近衛少将を解任されている。
 円融朝の天禄3年(972年)右少弁次いで左少弁に任官すると、天禄4年(973年)正五位下・右中弁、天延2年(974年)従四位下と、弁官を務めながら順調に昇進する。貞元2年(977年)参議に任ぜられ公卿に列した。   
 寛和元年(985年)花山天皇の大嘗祭で悠紀国司により従三位、翌寛和2年(986年)一条天皇の大嘗祭でも悠紀国司で正三位と、2年連続で大嘗祭で悠紀国司を務めて昇叙を果たした。永延3年(989年)権中納言に至る。長徳元年(995年)5月22日薨去。享年58。