K322:醍醐天皇 | 醍醐天皇 ― 源 重光/保光/延光 | G794:源 重光/保光/延光 | ● |
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源 重光 | 源 長経 |
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承平8年(938年)従四位下に叙される。侍従を経て天暦4年(950年)信濃権守に任ぜられる。天暦7年(953年)右近衛中将に任ぜられる。翌年には伊予守を兼ね、天暦9年11月(956年1月)従四位上に昇叙。天徳2年(958年)左近衛中将に転じる。播磨守,左京大夫,備中権守を歴任。応和4年(964年)参議に任ぜられ公卿に列し、宮内卿を兼ねる。天延2年(974年)には検非違使別当に任ぜられる。貞元2年(977年)中納言。永観3年(985年)3月円融上皇の読経結願に参会。同年4月には警固を行う。永祚元年(989年)8月に藤原頼忠の七七日忌が行われた際、これに参会している。正暦2年(991年)9月の任大臣の儀に参り、同日極官の権大納言に至っている。 |
永祚2年(990年)一条天皇の五位蔵人に補任。正暦4年(993年)左近衛少将を経て、正暦6年(995年)従四位下に叙せられた。 |
源 経成 | 源 重資 |
後一条朝の治安3年(1023年)諸陵助に任ぜられると、右近衛将監・六位蔵人を経て、万寿5年(1028年)従五位下・侍従に叙任される。その後、少納言を務め、長元5年(1032年)従五位上、長元9年(1036年)正五位下と昇叙された。 |
康平6年(1063年)19歳で父と同じく諸陵助より官につく。康平8年(1065年)に式部少丞に転じて(翌年大丞に昇任)、治暦3年(1067年)23歳で式部丞の労で従五位下に叙爵。以後、順調に昇進し寛治8年(1094年)に権右中弁に昇任。嘉保2年(1095年)に従四位下に叙せられた。 |
源 保光 | 源 延光 |
村上朝前期の天暦5年(951年)正月に従四位下に直叙されると、2月には皇孫ながら文章生となる。民部大輔・侍従を歴任したほか、天徳2年(958年)には紀伊権守として地方官も務めた。またこの間の応和3年(963年)従四位上に叙せられている。 |
朱雀朝末の天慶9年(946年)従四位下に叙され、同年11月に源朝臣姓を賜り臣籍降下し、天暦2年(948年)侍従に任官する。天暦3年(949年)には右大臣・藤原師輔を請客使として出迎えている。康保3年(966年)に参議に任ぜられ公卿に列す。兄・保光よりも4年早い参議昇進であった。 |