K322:醍醐天皇 | 醍醐天皇 ― 源 正清/泰清/守清 | G793:源 正清/泰清/守清 | ● |
リンク |
源 正清 | 源 高雅 |
---|---|
円融朝の天禄4年(973年)左近衛中将に任ぜられる。天延2年(974年)円融天皇の中宮・藤原媓子の中宮権亮を兼ねると、貞元2年(977年)には蔵人頭に任ぜられるが、永観2年(984年)円融天皇の譲位に伴って蔵人頭を辞任する。 |
一条朝にて但馬守,甲斐守,讃岐守,近江守と地方官を歴任し、位階は従四位下に至った。妻(藤原親明の娘)が藤原道長室の源倫子の乳母子であり、高雅は道長の家司も務めた。長保2年(1000年)道長の娘である藤原彰子が立后すると中宮権大進(のち中宮亮)に任ぜられている。 |
源 行任 | 源 雅亮 |
一条朝末の寛弘7年(1010年)能登守に任ぜられる。三条朝では皇太后・藤原彰子に皇太后宮大進として仕え、長和5年(1016年)正五位下に叙せられた。 |
始め大舎人助を務める。仁平3年(1153年)に従五位下に叙爵。同年皇后宮少進に叙任され、8月29日には雅亮が藤原頼長の室・藤原幸子の乳母肥前の養子であった縁から、頼長とその妻の家司に補任。また頼長より鳥羽院判代官に推挙されるなど頼長に接近。 |