宇多源氏

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五辻之仲 五辻高仲

 永禄8年10月22日、8歳のときに叙爵され、藤原北家閑院流の滋野井公古の猶子となる(滋野井実藤)。2日後の10月24日に公古が薨去し、滋野井家の家督を継承した。同12年8月20日、逆退して六位蔵人となり、禁色と昇殿を許される。同日源元仲と名を改めたことから、滋野井家から五辻家に戻ったと思われる。ここに滋野井家は中絶した(のち、長男の冬隆(季吉)が公古の猶子となって滋野井家を再興する)。
 慶長5年12月20日(1601年1月24日)、名を之仲と改める。同14年(1609年)、52歳のとき従三位に叙され公卿に列した。寛永3年11月25日、69歳で薨去した。

 江戸時代幕末から明治時代にかけての公卿。参議五辻豊仲の養子となった。
 安政5年(1858年)の日米修好通商条約勅許に反対し、廷臣88人の列参に加わる(廷臣八十八卿列参事件)。明治元年(1868年)に参与・内国事務局権判事に任命され、同2年少弁となる。明治6年積年の神楽奉仕を褒賞され、同年隠居した。明治19年6月5日、80歳で没した。