光孝源氏

K321:光孝天皇  光孝天皇 ― 源 貞恒/是恒/香泉/友貞 G716:源 貞恒/是恒/香泉/友貞

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源 貞恒 源 是恒

 名は貞経とも書く。貞観12年(870年)2月、源朝臣姓を賜り臣籍に下る。元慶7年(883年)に従五位下に叙せらる。その後、美濃守,右近中将などを歴任。寛平5年(893年)5月26日に参議になり、大蔵卿,右衛門督などを兼任した。延喜2年(902年)1月に中納言に任ぜられる。延喜6年(906年)11月、正三位に昇る。延喜8年(908年)1月に大納言・民部卿に任ぜられたが、同年8月1日に52歳で薨去した。
 延喜6年閏12月に詠んだ日本紀竟宴和歌が残る。

 貞観12年(870年)2月、源朝臣姓を賜り臣籍に下る。その後、出家して空性と号する。またその後、還俗して寛平8年(896年)11月に再び源朝臣姓を賜る。延喜5年(905年)7月28日に死去。
源 為憲
 平安時代中期の文学者・漢詩人。文章生から内記,蔵人,式部丞や諸国の国司(遠江国や美濃国など)を歴任。「北山抄」吏途指南に遠江守在任時の功過定のことがみえる。源順に師事し、文章・漢詩・和歌に秀で、「本朝文粋」に受領申文を載せ、「本朝麗藻」「類聚句題抄」「拾遺和歌集」などに漢詩や和歌などの作品を残している。そのほか「口遊」「世俗諺文」などの教養書も撰している。また仏教にも造詣が深く、「三宝絵詞」「空也誄」などを撰している。