光孝源氏

K321:光孝天皇  光孝天皇 ― 源 清平/正明 G711:源 清平/正明

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源 相見 源 兼光
 平安時代中期の文人。菅原道真ゆかりの菅家廊下で学んだ。民部大丞に在任時、天徳3年(959年)の内裏詩合に参加。応和元年(961年)又は康保元年(964年)の10月、大宰府の菅丞相廟での詩宴に詩序を作っているが、その中で「菅内の愚吏」と自己紹介している。山城守,摂津守を歴任して従五位上に至った。「群聚句題抄」,「和漢朗詠集」,「香薬字抄」に6首の詩が残る。  平安時代中期の官人・歌人。生没年不詳だが『勅撰作者部類』によれば康保3年(966年)に至る、と記載されている。延長4年(926年)小舎人、天徳4年(960年)春宮少進、次いで従五位下大蔵大輔(大蔵少輔とする説もある)に至る。『拾遺和歌集』に蔵人在任時の和歌を載せる。
源 景明

 平安時代中期の官人・歌人。右衛門尉,長門守などを務め、従五位下に至った。
 源兼澄や中務らの歌集に彼の名前が見え、彼ら有名歌人とも交流があったと推測される。藤原頼忠の依頼で歌を詠んだこともあり、その時の歌が『拾遺和歌集』(に収録されている。『拾遺和歌集』に6首、『新古今和歌集』に1首入集している。