G135:土岐頼忠 | 源 経基 ― 源 満仲 ― 源 頼光 ― 土岐光衡 ― 土岐頼貞 ― 土岐頼忠 ― 植村持益 | G137:植村持益 |
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植村持益 | 植村氏明 |
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植村家の祖。美濃の守護土岐氏の一族。遠江上村に移り、明応年間(1492~1501年)に植村と改める。松平長親に仕え、三河碧海郡東本郷に城を築いた。 |
松平家3代(清康・広忠・家康)に仕えた家臣で、不毛の豪傑であり槍・刀の名手で、剣術は鞍馬流の奥義を極めていた。 |
植村家存 | 植村泰忠 |
天文18年(1549年)、9歳の時から家康に仕える。その後、天文21年(1552年)に父が死去したため家督を継承。 |
幼くして父を亡くし、三河国鳳来寺の大叔父・二位法印教円に育てられ、鳳来寺薬師別当となり、安養院と号する。三方ヶ原の戦いに僧兵を率いて徳川家康に加勢した。戦後に還俗し、遠江国榛原郡内に領地を賜る。小田原の役における武蔵国岩槻城攻略で親族の本多忠政とともに参戦し武功を挙げ、家康の関東入りに従い上総国夷隅郡勝浦3000石を賜り、のちに2000石を加増され勝浦を居所とし、それまでの勝浦城を廃城にし勝浦の街の基礎を築いた。また、領民に市を開かせて、これが日本三大朝市に数えられる勝浦の朝市のはじまりである。 |
植村恒朝 | |
長兄が早世したために世子となり、享保13年(1728年)12月に従五位下・長門守に叙任する。享保14年(1729年)の父の死去により、家督を継いで藩主となり、土佐守に転任する。 |